MAYO ZONE



思想



俺のゲイとしての考え方、思想は偏っているだろうか?

俺は自分でそうは思っていない。

「マヨの考え方って、たぶんに右寄りだよね」

長い間仲良くしていただいている レザー・軍装趣味の友から、そういわれる。

「俺の考え、右寄りねぇ・・・」

うそぶいてみるものの、自分でも「右寄り」だと思う。

というか、ゲイで共産主義などという人は、いないと思う。それは、共産主義ではゲイの血が騒がないのである。

もし、主義のもとに、すべての人が平等だったら・・・

もし、私有財産が認められなくて、すべての人が一律に同じ経済状態だったら・・・

格差の無い、何の面白みもない社会になってしまう。努力して、支配階級に昇る張り合いもなくなってしまう。

貧富の差があり、身分の貴賤があるからこそ、支配・被支配、君臨・隷属の関係が生まれ、成立する。

征服するものは武器を取って、狙った民族を責めこみ、武器で脅し、屈服させ、意のままに扱える奴隷として支配してゆく。

街中に征服者たちの黒革乗馬長靴の靴音が響く時、奴隷となった被征服民たちは震えおののく。

貧しきものは、富める者の靴を舐めて磨く。

崇高なものは卑賎なものを鞭で打つ。

これらは、至極当然の「あるべき姿」だと思う。

ゲイというのは、男でありながら男が好きな生態である。

男でありながらシナを装う嬌態を楽しむゲイもいる。それはその人の「生き方」だから、とやかく言う気はない。

でも、男の「男らしさ」を実践するゲイがいることを期待する。

「貯めたお金で革ジャンが買えた。今度貯まったら革パンを買おう」

とか、

「今は貧しくて、金持ちの靴を舐めて磨く立場だけど、いつか、金持ちになって、俺の黒革靴を誰かに舐めさせたい」

こんな気概があるゲイが、いてほしい。














勝ち組リーマン





聞くとはなしに、聞こえてきた話、スーツの着こなし、男性美容にも気を遣っているに違いない、そのイケメンぶり、手入れの行き届いた黒革靴・・・

どう見ても、一流企業で若いうちから成功している「勝ち組リーマン」に違いない。

攻めの営業をして、のし上がり、成り上がり、「年上の部下」がいるに違いない「エリートリーマン」・・・

企業戦士のなかの、「支配階層」と見てしまう。

「攻めの仕事」をすることで、攻撃し、支配する姿は「支配階層」のイメージが付いて回る。

こういうエリートリーマンは、残忍な性分を内に秘めていることが時としてあり、その性分は同性を責めることで満たされるものである。

この「勝ち組エリートリーマン」は



● 黒革靴は自分で磨かない。
  その淫靡な黒光りからして、誰かに舐めさせて、磨かせている。
● 黒靴下も自分で履かない。
  椅子に座っている勝ち組リーマンの前に這って、黒靴下を恭しく履かせる者がいる。
● 「勝ち組エリートリーマン」として、中小企業で働き、なおかつ仕事ができない年上リーマンを蔑む。
   嘲笑して「勝ち組」の慰み者にする。
   それは性的なことでも同じである。
● このリーマンは対等なセックスはしない。
   このリーマンのセックスには優劣があり、リーマンが必ず優位に立つ。
● 「勝ち組エリートリーマン」は支配階層であり、征服者である。
  したがって「負け組リーマン」を、弄び、自分の意のままに服従させることができる。
   その点を理解している。
● 「勝ち組エリートリーマン」は、黒革靴以外にも、黒革ドレスブーツやサイドゴアブーツなども、履く。
   いずれの場合でも、中で黒靴下が蒸れている。
● セックスでは、常に優位にあるこのリーマンは、エリートであるという「勝ち組意識」から、
   社会的に自分より下にある相手に対して、「責め道具」を使う。
● このリーマンは鞭を好んで使う。鞭を素手で握ることは、ない。
   鞭を持つとき、リーマンの手は必ず黒革手袋で覆われている。



もちろん、「そうあってほしい」という願望がほとんどであるが。












意見が分かれるところ



絶対的君主と、それに性的奉仕をする奴隷・・・この図式で「どちらが使うのがいいのか?」人によって意見が分かれることがあると思う。

俺はその最たるものは「全頭マスク」と「浣腸」だと思っている。



 まず「全頭マスク」だが、俺は今まで、そしてこれからも君主が装着するのが正統だと思っている。

もちろん、撮影において、奴隷の顔を隠さなければならない時など別だが。

奴隷が全頭マスクを付ける時は、目だけではなく、口も開いていることが重要な条件になる。

隷属する君主の、黒革乗馬長靴や黒革靴や屹立した砲身を舌で扱わせてもらうためである。奴隷が全頭マスクを付ける時は、君主の許可が要る。その許可をもらうために、主君に制裁を受けることもある。

俺はかつて、全頭マスク着用を懇願してきた奴隷を、許可する代わりに鞭でメッタ打ちしたことがある。

これに対して暴君の装着する全頭マスクは光沢のある、よくなめした極薄の黒革製で、細く吊り目気味にカットされた目の部分以外、全く外気に触れない。

もちろん口など開いていない。僅かに穿った鼻孔から呼吸する。

君主は奴隷に対して舌を使うことなど、けして ない。

だから口に穴をあける必要がない。

俺が「全頭マスクは暴君が装着するもの」と考えるのは、そうした「舌を使うことの有無」という、行為における戒律もある。

ただ一番に考えるのは、「暴君の素顔を奴隷は見ることができない」という暴君の絶対的立場の優越性である。

フォックスアイに目の部分だけをカットされた全頭マスクを装着した暴君は、威圧的であり、奴隷に対して生殺与奪の権を持つ。

口の空いていない黒革製全頭マスクは、暴君の権力を誇張し、奴隷に対して「どんな残虐な処置を施しても、それを正義とする」という「責め具」なのである。

以前、バイクに乗っていた時分、バイクを駆って、奴隷の部屋に行ったことがある。

黒革ツナギ、黒革バイクブーツ、黒革グローブという黒革完全武装で、メットの下に黒革全頭マスクをしこんでいた。

もちろん、口など開いていない。

ブーツのまま奴隷の部屋に上がり、ブーツを舐めて挨拶する奴隷を蔑みながら、俺はメットを外した。

俺の顔を拝めると期待していた奴隷は、メットの下から現れた俺の顔が、顔の稜線をなぞるような極薄黒革全頭マスクに包まれているのに「ハッ」と驚き、畏敬の念を持った。

 このような使い方が全頭マスクの本筋と、俺は考えている、



「浣腸」だが、これは本当に意見が分かれて、俺のような考えの方が少数なのではないかと思っている。

が、浣腸は奴隷というか、暴君に奉仕する立場の者が使う物と心得ている。

暴君の腹がスッキリするように、奉仕人が奉仕の一環として、暴君がスッキリ排泄できるように、浣腸という奉仕をするのである。

高校で番格の帝王が、小便をする時、配下の者がトイレについて行き、帝王のズボンのファスナーを下し、砲身をつまんで固定し、放尿の介添えをするのと同じ感覚である。

俺は他人の排泄を見るのは嫌だが、自分の排泄を他人に見せることは抵抗がない。むしろ好きである。

排泄物を掴んだり、カラダに塗ったりはNGだが、排泄姿を配下の者に見せるのは、犬のマーキングと同じ感覚で、征服感が高まる。

事実、舎弟に浣腸させている。

2人とも全裸になり、俺だけが、黒ナイソや黒いナイロンのストッキングを履く。大股を開いた俺のアナルに「失礼いたします」と言って、恭しく舎弟が浣腸を挿入する。

2人してトイレに入り、薬剤が回って、俺の排泄が済むまで、舎弟は俺のナイソの足や砲身を舐めてくれる。

舎弟に見られながら排泄し、ケツの穴をペーパーで拭ってもらう。












舎弟



凛々しい舎弟 俺が見つけて 俺が育てた






舎弟と付き合って10年になった。

20歳の大学生だった舎弟も、今じゃスーツを着て、黒革靴、黒靴下を履く「男盛りのリーマン」になった。

 知り合った最初の頃、エッチとか、フェチプレイは上下関係があってもいいけど、それ以外で、遊びに行く時などは、対等な友達であり、恋人であることを提言したが、舎弟はいついかなる状況でも、主君に絶対服従し、隷属する処世に身を置きたいといって、その点だけは譲らなかった。

いま思えば、10年の付き合いの中で、舎弟が俺に対して自己主張した唯一の点である。

舎弟の提案を聞き入れたことは俺の支配欲や制服する喜びを満たし、舎弟の「服従し飼われたい」という欲求も満足させ、結果として長い間、仕えてくれている。

俺は舎弟をたいそう気に入っているし、大切に思っている。俺の、ゲイとしての思想に心酔してくれていて、俺に対する行動において実践してくれている。

今どきの若いリーマンには珍しく、うわついたところがなく、古風である。

俺の黒革靴を舐めて磨く時には、10年経った今でもきちんと「失礼します」と言ってから舐めるし、俺の黒靴下を嗅ぐ時やチンコをしゃぶる時は「いただきます」と土下座する。

ザーメンを飲ませてやると「ごちそうさまでした」と謝意を述べ、ティッシュなど使わなくていいように、最後まで俺の砲身を舌でキレイにしてくれる。

上下関係を確かめ合うための定期的なヤキ入れで、舎弟のカラダを拘束し、鞭で打ち据えている俺だが、かなりキツメに打っているのに、舎弟はじっと耐え、鞭で打ってもらえることに「ありがとうございます」と言う。

そんな心根の若者がいまの世にいることが嬉しくて、俺は褒める意味合いで、舎弟の口に俺のチンボを与えてやる。礼節を尽くして口舌奉仕し、俺のザーメンを飲み取ると、ヤキ入れてくれたことに深い感謝をこめて、俺の黒革靴に長いキスをする。そこにあるのは戒律が支配する男の処世美である。



 以前にも触れたが、排泄の世話も舎弟はしてくれる。

排泄物を掴んだり、カラダに塗ったりは抵抗あるが、そうでなければ排泄が絡むシーンもダメではない俺である。他人の排泄を見るのは嫌だが、自分の排泄姿を他人に見せることは平気でできる。

舎弟と一緒にトイレに入り、俺は便座に座る。舎弟は俺の前に跪き、俺の排泄が済むまで俺のチンコや黒いナイロンの靴下を履いた足を舐めている。

俺の排泄が済むと「失礼いたします」と言って、俺のケツの穴をペーパーで拭う。

便通が乱れている時など、舎弟に浣腸をさせることも、よくある。

下半身裸の俺が舎弟の前で仰向けに寝て大股を開く。舎弟によって俺のアナルに浣腸が挿入され、薬液が腸内に押し込まれる。自分では案外てこずる浣腸でも、舎弟に奉仕させるとスムーズにいく。

舎弟と一緒にトイレに入り、舎弟の見ている前で、大きな音をたてて薬液の混ざった排泄物を出す。

一日履いた黒靴下を嗅がせるのと同じで、舎弟に排泄を見せるのは、俺の方が立場が上という意識に起因する。



 俺は定期的に陰毛をカットしている。陰毛が伸びてマリモのようになっているのはセクシィさを削ぐ。

その陰毛カットも舎弟にやらせている。

2人とも全裸で浴室に入り、舎弟だけが黒いニトリル手袋を嵌める。

手袋を嵌めた舎弟の手でいじられて、俺のチンコはピンコ勃ちする。

「勃ってた方がやりやすいです」なんて言いながら舎弟は黒いニトリル手袋の手で、俺の砲身を掴み、はさみやカミソリで俺の陰毛を整えてくれる。夏は完全に剃ってもらってパイパンにしてもらう。

陰毛がスッキリしたところで、浴室内で、舎弟の口舌奉仕を受けて発射するのも気持ちいい。



舎弟が社会人になり、スーツを着て会社に行くようになった時、俺は入社祝いとして、黒革靴、黒靴下を贈った。

スーツをキメ、黒革靴、黒靴下を履いた舎弟は興奮し、勃起していた。

 俺は舎弟を連れて、賎民奴隷の部屋へ行った。

今どきあるのかよ、という風情のアパートの一室、日に焼けた畳敷きの部屋が賎しい。

足を汚さないためにも、俺も舎弟も黒革靴のまま畳の部屋に立つ。

突然の降臨に慌てふためきながらも、賎民奴隷は全裸になり、俺の黒革靴を舐めて恭順の意を示した。

俺が目配せすると、賎民奴隷は新入社員となった舎弟の黒革靴を舐めた。

今まで俺の黒革靴を舐める立場だった舎弟が、初めて賎しい身分の者に黒革靴を舐めさせる経験をしたのだが、奉仕を受ける舎弟の挙動は堂に入り、とても新社会人とは思えなかった。

舎弟の股間をまさぐると、見事に勃起しているのがわかったので、俺は黒革手袋を嵌め、ファスナーから出た舎弟の屹立したチンコをしごいた。

舎弟は快感に身もだえしながら、俺にしなだれついて、胸に顏を埋めた。

俺と舎弟はキスした。

俺に黒革手袋でしごかれながら、賎民奴隷に黒革靴を舐めさせている舎弟・・・やがて舎弟のチンコから白い液体が勢いよく噴出され、畳の上に飛び散った。

賎民奴隷は這って、舎弟の放出したザーメンを直接口で舐め、飲んだ。

スーツの乱れを正すと舎弟は俺の前に跪き、賎民奴隷を使わせてくれた謝意を述べると、俺の砲身に口舌奉仕してくれた。

崇高な2人のスーツリーマンの足元で、全裸の賎民奴隷は、2人の黒革靴を交互に舐めていた。

俺は舎弟の口舌奉仕を受けながら、賎民奴隷の顔を黒革靴の爪先で蹴った。俺のザーメンは舎弟の喉に流れ、いつものようにティッシュなど使わずに最後まで、舎弟が口で始末してくれた。

 帰り際、俺たち2人は、全裸で這いつくばっている賎民奴隷を黒革靴で踏み、蹴りを入れ、舎弟にエリート貴人の優越性を教えた。

日本臣民の優越性にひれ伏し、支配を受け、「引き立て役」として隷属するしか生きる術がない賎しい存在・・・それを奴隷として遇することを舎弟に薫陶した。

セックスを楽しむのは臣民である俺たち2人、支配を受けることでしか生きられない賎しい身分の末裔は、セックスを楽しむ臣民の靴を舐めるだけの下劣な存在であること、舎弟も理解してくれた。

「エリートリーマンとして、靴はいつもきれいじゃなきゃならない。あの奴隷、いつでも使ってイイゼ」

その日から、30歳になる今まで、舎弟の黒革靴は、この賎民奴隷が舐めてきれいにしている。

俺と2人して行くことがほとんどだが、会社の帰りに一人で寄って、靴を舐めさせて磨かせることもあるようだ。

怯む心をすっかり捨てた最近では、秀逸な日本臣民であることを誇りとし、己が足元にひれ伏す「不可触と扱われた民の末裔」の賎しさを蔑み、支配階層であることの優越感と、人権を持たない身分を賤しむ感情の混ざった冷徹な蔑視を下げ与えている。

舐め方が意にそぐわない時、黒革手袋を嵌めた手で鞭を持ち、打ち据えて戒めているが、その鞭の遣い方も残虐非道で、「よくここまで成長してくれたなぁ」と俺を喜ばせている。



 俺は黒革手袋を多数所有している。

舎弟も黒革手袋を愛好している。

冬場はスーツ、コートと合わせて、黒革手袋を嵌めている。自分で買うこともあるし、舎弟がエロい黒革手袋を見つけて来て、献上してくれることもある。

カッコよく男の色気を演出するためと、防寒のためだが、やはり「魂を入れる」営みもしたい。

新しく買った黒革手袋のパッケージを開け、舎弟に突き出し、俺は舎弟に命じる。

「この黒革手袋を嵌めて、余のイチモツをしごくのじゃ」

舎弟は「ははー」と頭を下げ、黒革手袋を嵌めて俺の砲身をしごく。

「苦しうない、もっとしごけ」舎弟の黒革手袋の絶妙なしごき加減に酔いしれながら、俺は新しい黒革手袋の中で射精する。

「殿、見事な放出でございました」そう言って舎弟はザーメンの残滓を舐め取ってくれる。

すっかりエロリーマンになった舎弟には、最近ではほとんどのアイテムの着用を許可している。

ナイロン靴下も普通に履いて俺の家に来るし、冬場は黒革ロングコートをキメ、黒革手袋も嵌めている。

そんな舎弟に泣かされることもある。

黒いナイロンの靴下を履いた足で俺の砲身をしごいてくれる。「顔も踏んでくれ」俺が哀願すると、舎弟は黒いナイロンの靴下を履いた足で俺の顔を踏みつける。

一見すると主従が逆転したように感じるかもしれないが、俺の「ヨガリ泣きたい」という欲求を満たすために、舎弟は奉仕してくれているのである。

年下の舎弟のナイロン靴下で責められて泣きヨガル醜態を晒すのも最近では無上の快感である。

大人になった舎弟は、そんな俺を受け止めてくれて、醜態を嘲るでもなく、ましてやそのことで兄貴分としての立場が失墜するなど、絶対にない。

舎弟の黒ナイロン靴下の足責めを受けて泣きながら射精した後も、舎弟は俺のザーメンを舐め取り、最後まで口で拭き取ってくれる。

同じように黒いナイロンの靴下を履いた俺の足先にキスをして、奉仕させてもらったことに感謝する。俺は返答の意味で、舎弟の額をナイロン靴下の爪先で小突く。



上下関係のなんたるか、を教育し、その処世の美を薫陶してきたが、舎弟がきちんと理解して、自分の中で熟成させ、凛とした日本男児に育ってくれたことに満足している。














処刑部屋



罪人を処刑してくれと依頼され、処刑部屋に入る時って、気持ちが昂る。第三帝国のA=SS黒制服に身を固め、妖しい黒光りを放つ黒革乗馬長靴を履いている。手は極薄の黒革長手袋に覆われている。黒革手袋は肘まで長いから、手首が露呈することはない。

征服することによって支配階層にある俺は、刑罰執行官、処刑執行官として、被征服民の罪人の刑罰執行の権限を掌中にしている。

ちなみに罪人ではなくとも、被征服民であれば、俺は支配階層の青年将校として、自己の「気まぐれ」で私的制裁を執行できる。

処刑部屋の中には4匹の被征服民がいる。処刑される罪人は、すでに肉体的拷問を受けて、ぐったりした状態で縛られ、鎖に繋がれている。その他に3匹の被征服民奴隷が処刑部屋の中に全裸で監禁されている。

処刑される罪人を含め、計4匹の被征服民がいる処刑部屋に、第三帝国のA=SS黒制服に身を固めた俺が、黒革乗馬長靴の靴音を響かせて履いて行く。

カッ、カッ、カッ・・・

黒革乗馬長靴の靴音が冷たく響く度に震えおののく被征服民奴隷たち。

俺の黒革乗馬長靴の靴音は罪人の脇で停まる。処刑という行為を確実に遂行するにあたり、俺は厳粛な気持ちになり、3匹の全裸奴隷の1匹から鞭を受け取る。俺の、極薄黒革長手袋にきっちり覆われた手が鞭を握り、それを激しく罪人に振り下ろす。鞭の音が処刑開始の合図になる。

3匹の全裸奴隷のうち、1匹は俺の右足乗馬長靴を這いつくばって舐め、1匹は俺の左足乗馬長靴をひれ伏して舐める。

残る1匹は、罪人を鞭で嬲ることによって天を衝くほどに屹立した俺の砲身を口で扱う。

罪人を鞭で処刑しながら、俺は3匹の全裸奴隷の恭順な奉仕を受ける。

気分の高揚感が抑えられなくなった俺の鞭は強度を増し、罪人に降り注いだ。

ぐったりした罪人が動かなくなったのと、俺のザーメンが奴隷の口中に流れたのが同時だった。

俺は黒革乗馬長靴の靴音を響かせて処刑部屋を出た。罪人は気絶したのか、絶命したのか・・・それは俺の感知することではない。

傷の手当にしろ、躯の始末にしろ、処刑執行官は不浄に触れてはならない。

そうした後始末は、被征服民奴隷=賎民の務めだから。












企業城下町



高度経済成長期が終焉に差し掛かったころ、昭和50年代初めが該当すると思うが、T県N市は「小野宮産業」の企業城下町だった。N市に暮らすもののほとんどが、「小野宮産業」の恩恵を受けて生計を立てていた。小野宮家の意向に従わないものはこの町では生きてゆけないというのが暗黙の了解だった。それだけ、小野宮家の権勢は絶大で、財力もすごかった。

当時、小野宮家には、17歳になる一人息子がおり、高校に通う傍ら、小野宮産業の専務という肩書を与えられていた。名を健司というが、これがたいへんな不良で、小野宮産業の威光のもと、悪逆非道のかぎりをつくして、「黒い青春」を謳歌していた。善良な市民は健司の行為を怖れながらも、小野宮産業の権勢の前では何も言えなかった。

健司は、黒革ツナギ、膝ギリギリまで長い黒革ブーツ、カブラの長い黒革手袋、フルフェイスの黒いヘルメット・・・そんないでたちでバイクを駆っていた。

腹心の仲間数人も健司と同じいでたちで、バイクを操縦していたが、健司は、そうした仲間を「黒猟団」という暴走暴力集団に組織し、全身黒革武装でバイクという「武器」に跨ることのできる権力・財力を、暴力という形で誇示し、邪悪な優越感に浸っていた。

そこにあるのは、富める者は支配者であり、法律であり、貧しきものは富める者の餌食であり、支配を受け、服従するという図式であった。

「黒猟団」の制裁を受け、イタブられるのは決まって男であった。

健司はまるで馬に跨る戦国武将のように、バイクに跨り出陣し、屈強の男を征服し、暴力で凌辱することに、言い知れぬ愉悦を覚えた。

全身黒革で完全武装してバイクを駆る「黒猟団」の構成員に、バイクで追われ、囲まれた若者は、構成員たちに黒革手袋を嵌めた手で殴られ、黒革バイクブーツの足で蹴られた。手首を縛られ、ロープでバイクの後部に繋がれ、走るバイクに引きずられるという刑に処されるものが多かった。

最後には健司の黒革バイクブーツの靴底が餌食となって虐待された若者の顔を踏み躙り、威厳を教え込んだ。

傷を負っても、若者は黙って泣き寝入りをした。健司の素行に異議を唱えることなど、考えられなかった。

若者の父は小野宮産業の下請けとして仕事を得て、生計を立てていた。



富める者、財力のあるものは、その財力を使い、武器を取り、貧しい者、賎しいものを攻撃し、征服し、支配し、凌辱し、世間一般とは異なる「自己の法律」で、制裁を科す。貧しきものは富める者に征服され、その行為が暴挙であっても、忍従して生きる。それはごくごく自然な摂理だと、俺は考える。

画像は拾い画像である












踏まれることにしか存在意義がない賎民





俺の革靴を舐めるために 精一杯突き出した舌が 賎しい

俺はコイツに手で触れたことは ない

命令や コイツの行動の良し悪しは

黒革靴の爪先か 鞭で 指示する

俺とコイツが直に触れるのは 唯一

俺の砲身と コイツの口

人に蔑まれ 足下にひれ伏すためだけに存在しているコイツを見ていると

無性に虐げたくなる

こんな賎しい存在でも 革靴を舐めさせ 革靴のまま 顔を踏み躙ると

俺の砲身は屹立する

快感に声を挙げることもなく

「イく」という発声もなく

俺はコイツの咽喉にザーメンを 流す

それは小便をするのと同じ あくまで生理現象として

同じ身分の ドエムくんとなら

「虐める」という行為を与えて 相手を満たしてやる必要があるが

この賎民に対して そんな必要は ない

俺の黒革靴が磨かれ

俺のザーメンが コイツの咽喉に流れたなら

用はない 帰らせる












応援団員



拾い画像だが、この青年はカッコいい。

イケメンなどというふやけた言い方をしたくない。

「男が男らしくあること」を道として、行動していることが伺える。

硬派を身上とする応援団の構成員であることが凛とした黒制服からわかる。

青年の履くズボンの渡り幅、裾幅は広い。

それが、よく磨かれた黒革靴にたっぷりと掛かる。そのため、青年の履く靴下のありようは見ることができない。

しかし、黒以外に考えられない。

硬派な男たちの、上下関係という厳しくも美しい戒律が支配する世界において、黒い靴下以外は、ありえない。

この青年も、上下関係の中で生き、新入団員に黒革靴を磨かせ、黒靴下を履かせるという奉仕を受けているのだろう。

粗相があった場合、若者の黒革靴の爪先が、新入団員の顔に蹴り込まれる。

先輩、後輩の上下関係、それによる主君と奴隷の関係・・・後輩は先輩に絶対服従し、どんな不条理な命令でも黙って忍従する。

そして自分が先輩になった時、後輩に同じ関係を強制する。受け継がれていく 権威―隷属 の関係。日本男児の清しさ。

硬派な生き方をする若者の上下関係を礼賛する。




画像は拾い画像である















ヤキ



何の落ち度もなく従順で、よくやってくれる舎弟でも、定期的にヤキを入れている。

俺に対する忠誠心をきちんと確認するため。

上下関係という美しい戒律を伝え残すため。

上長者に舎弟が服従して隷属するのは、日本男児の崇高な処世であり、右寄り思想の根幹をなしていると俺は考える。

朝、舎弟の奉仕を受けて、出勤するが、最近は排泄の奉仕をさせている。

一緒にトイレに入り、便座に座った俺の足元に舎弟が跪き、俺の黒靴下を舐めたり、尺奉仕する。

俺の排泄が済むと、舎弟はペーパーで俺のアナルを拭く。

「排泄直後のアナルを舐めましょうか?」

と舎弟は言うけど、現段階で、俺がそこまで要求しない。




















右翼青年



この青年と仲良くしている。

といっても、頻繁に会えるわけじゃない。地方都市で営業職をしている青年、上京すると俺を訪ねてくれて、話しながら酒を酌み交わす間柄である。

俺は青年の経歴、上下関係を遵守すること、右寄りな思想を大事にしていることに大いに惹かれている。

この青年の経歴を紹介しておく。

青年は中学2年で不良界に華々しくデビューし、短ラン、ボンタン、黒革トンガリ靴、黒いナイロンの靴下という「不良スタンダード」の格好で通学した。それ以来、黒いナイロンの靴下に対する執着は熱く持ち続けている。

高校の3年間はドカンで通学しとおした。暴走族にも加わり、地元を支配するチームの特攻隊長をしていた。写真を見せてもらったことがあるが、アイパーをあて、威圧的なリーゼントの青年が、派手な刺繍の特攻服を着て、黒革特攻ブーツを履き、黒革カラスマスクをしている。

「たくさんの武勲を挙げたのだろう?」

俺が訊くと

「ええ、まぁ・・・」

と控え目な答えが返ってくる。答えは控え目でも、その時の意味深い微笑みが、チームのために大きな功績を残したことを物語っている。

暴走族引退と同時に、ガテン系の職に就き、更生する若者が多い中で、この青年に構成はなかった。右翼団体に勧誘され、その構成員となった。

この青年に、並外れた度量と俊敏さを見た団体の会長は、青年を愛で、己が大切に信奉している思想を薫陶した。青年も会長を心底尊敬し、その教えに傾倒していった。

会長に揃えてもらったスーツを着て、黒革靴を履き、黒いナイロンの靴下を履いて街宣カーに乗った時、青年は勃起したという。

その後、団体の「行動服」の着用が許され、青年の胸には日章旗と菊紋があり、青年の足は黒革の編み上げ式半長靴に包まれている。派手な軍歌とともに、日本人としての伝統ある行動様式を伝えていくことこそ、教育の真髄であると叫んだ。

行動服に身を固め、黒革半長靴を履いて、日本臣民の優秀性を訴えて街宣活動する時、やはり青年は勃起するという。

今年30歳になる青年は、サラリーマンとして、製薬会社の営業職の傍ら、右翼団体での活動は続けている。さすがに街宣カーに乗ったりはしないが、薫陶してくれた会長が逝去してからは、会長の思想の真の後継者として、勉強会の中心人物を務めている。



暴走族、右翼団体と、「縦社会」を歩いてきたこの青年、上下関係には殊に強い意識がある。

俺と酒を飲むときも、砕けた席なのに、終始、俺に敬語で話す。俺が青年に黒靴下で顔を踏んでほしいと、M的な欲望を口にしたら、

「目上の人に対して、そんなこと、できないっすよ」と拒んだ。

「どうしてもやられたい」と請願すると、俺の欲望に配慮してくれて、黒靴下で顔を踏んでくれた。青年に黒靴下で顔を踏まれながらオナニーして果てる俺だったが、「よかったですか?」そう聞いて、俺の放出したザーメンをきちんとティッシュで拭ってくれた。

目上に対する敬意を忘れない青年に、日本男児の思慮ある行動規範を見て、清々しい気分になる。












ロングブーツを履く意義





ロングブーツにしろ、乗馬ブーツにしろ、なぜ、履くか?

殊にバイクや馬に「跨る」という態勢で乗る時、ロングブーツを履く。

足を保護するため

足を汚さないため

確かにそうした目的でロングブーツを履くのが本筋だろう。

けど、

「ロングブーツの持つ威厳」

「ロングブーツを履くことができる優越性」

そうした観念が妥当であることを誇示する気持ちが、ロングブーツを履く男には、多かれ少なかれ、あると思う。

例えば乗馬について考察してみる。

乗馬は高貴なたしなみであり、乗馬をすることができる人は社会の上層部におり、経済的にも、社会的階層でも「恵まれた人」である。もっと突き詰めれば、支配階級である。

そうした階級にある崇高な人は、乗馬を嗜むとき、黒革ロングブーツを履き、鞭を持つ。

その容姿は威圧的であり、ロングブーツを履くことで、特権階級の権力を示しているように思える。

馬を嗜めるための鞭を、権力の象徴として、人に遣いたくなるのも自然の心理状態であろう。

乗馬をする人は、財力にも恵まれ社会的に「支配する」側に属する。その支配階級にある崇高な貴人は、その財力ゆえ、当然のことながら下僕を飼っている。

乗馬を楽しんだ後、支配階級の貴人は、乗馬ブーツを自分で手入れなど、しない。

履いたままの状態で、下僕を呼び、足下に跪かせ、磨かせる。

貴人が悠然と椅子に座り、くつろいでいるのに対し、乗馬ブーツを磨く下僕は、貴人の足下にひれ伏し、あくせくと貴人の乗馬ブーツを磨く。

磨き方が貴人の意にそぐわない時は、乗馬鞭で打たれることもあるという。

財力のあるもの、豊かなものは支配者であり、征服者である。

貧しきもの、卑賎なものは支配を受けることでのみ、生きることができる。

支配、征服の原則である。












悪徳の栄



ドラマでこんなシーンを見たことがある。

初老期の男が畳式の部屋で土下座している。

若いチンピラ風の男は、およそ普通のリーマンが着ないだろう派手なスーツを着て、黒いエナメルのテカテカした靴を履いている。チンピラ風の男は靴のまま畳敷の居間に上がり込み、初老期の男に借金返済を、声を荒げて迫る。

法律では認められていない法外な利率は借金の額を膨れさせ、初老期の男の返済能力を超えている。

土下座して額を畳にこすりつけながら返済期限の延期を哀願する初老期の男に、チンピラ風の若者は意地の悪い冷酷な笑いを浮かべると土下座する男の後頭部を黒エナメルの威圧的な靴で踏みつける。

ズボンの裾とエナメル靴の間に、薄手の黒靴下が覗く。

借金返済を捲し立てるチンピラ風の若い男。

その男の足にしがみつき、泣いて許しを請う初老期の男。

泣く男の顔に、ついにチンピラ風若い男の黒エナメル靴の爪先が蹴り込まれる。



このシーンを見て、興奮するゲイは多いだろう。

社会規範に反するとか、現実にそんなことが自分の身に降りかかったら嫌だな、なんて考える人は少ないだろう。

性的興奮を覚える人がほとんどだろう。

債権者=強いもの が 債務者=弱い者 を黒エナメル靴で虐待している。

しかもこのチンピラ風若い男は、債権者=強い者 であると同時に、非合法な利率で、債務を増大させた「悪」である。

悪が栄え、弱者を虐待している。そこに言い知れぬ愉悦がある。

黒革靴、黒靴下好きのMなら、初老期の男の立場になって、チンピラ風若い男に顔を踏まれたいと望むだろうが、俺なら、同じような派手で威圧的な身なりをして、チンピラ風若い男の悪行に加担したい。